院長紹介

左海歯科クリニック 院長:左海 孝昌

左海歯科クリニック 院長◆ 院長略歴

  • 平成13年 岩手医科大学 歯学部卒業
  • 平成13~19年 岩手医科大学 歯学部 歯科補綴学第二講座
  • 平成20年6月 兵庫県西宮市にて左海歯科クリニック開設

◆ 資格等

  • 補綴歯科認定専門医

◆ 所属団体・学会・セミナー等

  • 日本補綴歯科学会
  • JAID
  • 国際口腔インプラント学会(ICOI)
  • 保田矯正塾
  • CDTCベーシックセミナー修了
  • 修練会 Basic Removable Partial Denture 2015 修了
  • Invisalign go セミナー修了
  • 感染対策と正しい洗浄・消毒・滅菌 実践スキルアップセミナー修了
  • ADA(明石臨床研究会)
  • 西宮市歯科医師会

●補綴とは?

補綴とは、かぶせ物(銀歯や差し歯)、あるいは義歯(入れ歯)のことです。失った歯、欠けた歯を補うことを補綴治療と言います。当院の歯科医師は歯科医師国家試験合格後、大学病院内の補綴科に在籍し、補綴治療を専門に臨床経験を積み補綴専門医の資格を取得しております。お使いの義歯がしっくりきていない方、新しく作り直したいなどのご相談のある方は、どうぞご遠慮なくご連絡ください。



◆ 院長より

私たち左海歯科クリニックは、患者さまにしっかり納得してもらえるまで治療の説明をさせていただき、治療方針の良いところ、悪いところを理解していただいた上で、最善の治療を提供したいと思っております。

ずっとお付き合いしていく自分の歯だからこそ大切にしたいもの。
赤ちゃんからご年配の方まで、それぞれのライフステージに見合った治療をご提案させていただきます。


◆ かぶせ物、詰め物の治療について

専門医認定証当院では補綴(ほてつ)・修復治療(=かぶせ物、詰め物治療)に力を入れております。
補綴、修復治療には精度が重要になります。歯と補綴物・修復物との境目に段差がない状態にすることが精度の高い治療です。
当院の歯科医師は補綴歯科専門医を取得しており、卒後約6年間、補綴治療学を専門に研鑽を積んでまいりました。
かぶせ物、詰め物を装着したあとの二次う蝕(うしょく)と呼ばれる虫歯の再発を可能な限り少なくするために高い治療を行うことを徹底しております。


院長の生い立ち

幼少のころ

私の父も歯科医師でした。自宅兼の医院でしたので1階の一部が医院、残りの1階部分と2階が自宅です。
私は幼稚園くらいまではよく医院に勝手に忍び込み父が患者さんの治療をしているところまで行って助手さんに遊び相手をしてもらったり、技工室に行っていろいろ歯科で使用する材料を勝手に使って遊んだりと、子供だったのでまだ可愛かったことをいいことに好き放題していました。
義歯や銀歯を作る技工室の壁には私と姉の年齢ごとの背丈を刻んだ跡がありました。毎年誕生日に父がその壁に背中をつけさせて身長測定をするのです。おそらく小学6年生くらいまでは毎年測っていたと思います。
また晩御飯を食べ終えてから、父が技工室で残業(今思えば義歯や銀歯を作っていたんですね)しているところに遊びに行くのがこれまた楽しみでした。父はたいてい優しく私のわがままに付き合ってくれ、きっと本当はもう少し早く終われていたであろう残業は私が邪魔をすることで長引いていたのだと今になって思います。
今思えばこの頃が一番自分の父が歯医者さんであるということを強く自覚していたのではないかと思います。今でもその頃の情景は鮮明に脳裏に焼きついています。

幼少のころ

▲診療室や待合室で自由に遊ぶ可愛い頃の院長


小学生のころ

小学生になっても低学年くらいまではよくフラフラと診療室に行ってはチョロチョロと走り回ったりしていた記憶があります。さすがにこの頃には受付を手伝っていた母親によく怒られたりしていました。
何に興味を持っていたのか、そんなことはあまり考えたことはありませんでしたが、今思うと、大人が仕事をしている風景が何か非日常的であり、とても興味をそそられ、その中に自分も一緒に入りたいという願望があったのかもしれません。
母はよく治療が終わった患者さんと受付でよく会話をしていました。
どういった内容かはよくわからないのですが、何かとても大人の世界の匂いがする光景だったように思います。


中学、高校生のころ

中学時代はバスケットボール部に入って、ひたすら部活動をしていました。
小学校までは毎日がワイワイ楽しく過ごしていた、そんな感じでしたが中学校に入ると周りの環境は一変、学校は校則が厳しくなんだか常にピリピリした雰囲気、ちょっと服装が乱れていようものならその場で先生にもみあげを引っ張り上げられたり場合によっては平手打ちをされたりするようなこともありました。
今の時代では考えられないことかもしれませんが、私が中学生の頃にはまだそういういわゆる体罰のような習慣はまだありました。
ただもちろん理不尽な暴力・体罰というわけではなく、叱られた生徒のほうも納得できる、というようなことがほとんどであったと思います。
今ではむしろ真剣に叱ってくれた先生方にありがとうと言いたい気持ちです。
中学生の時にはバスケットボール大会の新人戦で市の大会で優勝をすることができました。私もレギュラーとしてチームに貢献することができ、それが優勝という形で成果を出せたことは中学生活の中でも一番うれしかった思い出です。
ただ、高校に入ると自分より圧倒的にうまい選手が多くの中学校から集結してきたため、僕はあっという間にベンチウォーマーという立場になってしまい、ちょっぴりつらい思いも経験しました。

幼少のころ

▲中学、高校時代、バスケットボールに明け暮れる。この頃の友人が今でも一番仲がいい。


大学生活

大学入学は私にとって大きな人生の転換点でした。
まず何より今まで住み慣れた西宮市を離れ、はるかかなた東北地方岩手県盛岡市での生活がスタートしたのです。ずっと親のスネをかじって生きてきた自分としては、やはり最初は辛いものがありました。とにかく寒かったです、4月なのに。
周りの同級生はだいたいが東北出身の人なので言葉のイントネーションが違います。
思いっきりアウェイの関西人としてはなおさら孤独感が強まり正直なんでこんなところに来てしもうたんや~とため息ばかりつく日々が続きました。
しかし、やはり住めば都とはよく言ったもので、親しい友人もでき、2~3年も立つとのどかな町並みや東北の人たちの穏やかな人柄、そういった関西とは一味違う世界にだんだんと居心地の良さを感じるようになりました。
冬はめっぽう寒く、盛岡で初めての冬を迎えた1年生のとき、忘れもしません、10月30日の早朝6時頃、カーテンを開けるとそこは雪国でした・・・・一面真っ白・・・銀世界だったのです、10月なのに。
そんな寒さも元来辛抱の足らない子だった僕を少しは辛抱強い人間に成長させてくれたのかもしれません。

幼少のころ

▲なぜかやったこともない野球部に入った大学時代(左端)
そしてすでにこのころ髪の毛がやばく、それを必死に隠している将来の院長。


医局時代

無事に歯科医師国家試験に合格し、ほっと一息つけるのかなと思っていたのですが、大間違いでした。親からはしばらくはまだ実家に帰ってきてもらっても困ると冷たい言葉を浴びせかけられてしまったので、大学病院に残ってしばらく勉強でもするかと軽い気持ちで補綴科という教室に入局しました。
補綴というのは入れ歯や銀歯、差し歯、ブリッジを作ったり、入れたりするのが專門なのですが、はっきり言って体育会系のノリです。
毎日夜中の2時3時まで技工室で入れ歯や銀歯、ブリッジを作る毎日でした。徹夜で技工をして翌朝一番でお越しになる患者さんの銀歯が朝の8時にやっと完成するなんてこともありました。
6年間の医局生活はかなりの地獄の日々でしたが、その経験はそれ以降の私の歯科医師人生の土台となるまさに修行時代でした。
その間にお世話になった教授はじめ先輩方、同期、後輩の先生には感謝してもしきれないです。


父の跡を継いで

医局生活を終え、一年ほど医局の先輩の医院で勤務医をさせていただきました。
同時進行でいよいよ開業のための準備にも取り掛かっていました。
父は私に気を使ってか一緒に診療をする期間がないように、一足早く医院を閉院しました。35年間歯科医院が少なく患者さんが一日に何十人も来るのをずっと診てきたわけですから、実際もう疲れてしまい、早くに辞めたかったというのもあったかもしれません。しかしおそらく親子で一緒に仕事をすると私がいろいろとやりにくい思いをするんじゃないかという配慮が少なからずあったんだと思います。私が開業するまでの約1年間は古くなった医院を取り壊し、さら地にして、建物を一新して開業することにしました。
建物から新しく作っていくのはとても大変な道のりでしたが、これから自分の病院を作っていくんだと思うと気合が入りました。沢山の方々の協力を得てだんだんと完成に近づいていく医院を見ているといよいよ本当に頑張らねばと心から思うようになりました。
そして、平成20年6月2日ついに左海歯科クリニックが開院しました。副院長である妻とともに、そしてオープニングスタッフとともに、最初は不慣れなことばかりで悪戦苦闘するころばかりでしたが、周りに助けられながら、なんとか乗り切ってこれました。そんな中でも一番ありがたかったことは、父の頃から通っていただいた患者様が「1年間待ってたで~。歯痛かったけど1年間我慢しとったんや~」と冗談まじりで開院早々お越しくださった患者様がたくさんいらっしゃたのです。
また、その際に助かったのが、父の頃の患者様のカルテの片隅に受付を手伝っていた母が鉛筆で書いていた走り書きのメモです。
それは患者様のプライベートなこと、○○さんは趣味でテニスをしている、○○さんは山登りがお好きで・・・○○さんは旅行が趣味で写真家だなどなど歯のこととは全く関係のないことです。しかしそういった患者さんの素顔を記憶にとどめておくことでまた来院されたときにちょっとした世間話をしたりお会計のときにちょっと会話をするときに役に立つのです。
あ~覚えてくれてるんだなあと思うと人はきっとうれしく思うのだと・・・・今ではごく普通にされていることかもしれませんが、当時まだまだ患者さんがやまのように来て、待合室が満員状態でてんやわんやの忙しい状態のなかで父ががんばって治療をしているかたわらで母はそうやって患者さんがまた来ていただけるような地道なフォローをして支えてくれていたんだなあと・・・・・・幼少の頃こっそり診療室に忍び込んで何気なくみていた光景の真実をその昔のカルテの片隅にみたような気がします。


現在は、開業して丸13年がたち、スタッフの皆様、患者様、皆様のおかげでなんとか医院が軌道に乗ることができました。
これからも親切・丁寧で分かりやすい医療をめざして、皆様のお口の健康維持に少しでもお役にたてるように、日々努力していきたいと思っております。
どんな些細なことでも結構です。歯でお悩みの方、お気軽にご相談ください。

幼少のころ

▲父の喜寿と両親の金婚式をお祝いしました!!



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